パチンコの歴史・・・パチンコ屋は超満員
その後、パチンコ屋は増える一方。全国的にパチンコ・ブームとなったのです。
たとえば、四国の高知地方もパチンコが大流行。
昭和11年、高知市内には約6ヵ月の間に35軒のパチンコ屋ができるという勢いだったのです。
その状況を、昭和11年6月22日付の『大阪朝日新聞』が次のように報じています。
『この春以来(高知)市内約三十五軒のパチンコ屋が開業、午前七時ごろの店開きも、もどかしそうに押しよせて、どこをのぞいても超満員。店じまいの時間がきて、追いかえされるというマニアもある。盛り場で、二十台のパチンコ器が稼ぎ出す一日のメタル売上はザット百円。販売人、機械修繕係を五、六名使って、純益は少ない時で三十円から、多い時で五十円というから、パチンコ屋さんの鼻息の荒いのも道理である。
このパチンコ器は、一台九円から十四、五円で大阪、東京方面から仕入れて来るもの、パチンコ屋のオッサンは朗らかに語る。僅か五銭で四十個のバットをせしめた方がありますよ』
この記事は、パチンコに関する当時の姿をいろいろ伝えています。
たとえば、当時は、メタルを入れると玉が出てくる仕掛けだったことを示しています。